ムルガンダ・クティー寺院については、三蔵法師(玄蔵)の大唐西域記で、次のように記されている。

『僧徒は一千五百人、みな小乗の正量部の教えを学んでいる。大きな垣の中に精舎の高 さ二百余尺のものがある。上には黄金で彫刻したアームラが作ってある。石で基壇や階段が作ってあり、煉瓦で幾層もの龕(厨子)が作られて いる。その龕は[建物の]四周を廻らし、その次第(階段)は百をもって数えるほどであり、それぞれみな黄金の仏像が彫ってある。精舎の中には鍮石の仏像がある。その大きさは如来の身体と等しく、法輪 を転ずる(説法)姿勢をしている。』(平凡社刊「中国古典体系第22巻」大唐西域記より)

 ところで、200尺あまりとはどんな高さか。200尺をWikipediaで見ると、『唐の大尺は現在の曲尺で9.78寸(29.63 cm)であり、それ以来ほとんど変化していないことになる。 』とある。つまり三蔵法師の時代(唐代)では大宝律令に用いられた尺と言うことになり、上の計算をすれば30センチ200(尺)≒60メートルということになる。

 ところで大唐西域記における高さに対する言及をあと二つしておきたい。第一はダルマラージカストゥーパ。ムルガンダ・クティー寺院の南西に石造りの100尺のストゥーパがあると書かれている。位置的にダルマラージカを指しているものと思われる。つまり先の計算では、ムルガンダ・クティー寺院の約半分の高さだったと言うことになる。
 またアショカピラーは70尺あまりと表記されており、20メートルを超える高さがあったことになる。